WEB版『かたち』 since1979

吉田麻美

2015年

「根源へ展Part Ⅰ -1」出品作

二つの秩序

150501~31

水平

 

 

 

 

 

 

 


2016年

東京5美術大学連合卒業・修了制作展」出品作(2月18日~28日 新国立美術館)
[作品名]「不正確な8分の制作」
[制作方法] 床上の2~3m四方の枠のなかで、4種の素材(と送風機)を使って即興で作品を制作する。時間は約8分ほど。制作の間、もう一人の人間が5種類の楽器を鳴らしている。
楽器の使い方や使う順番は決まりがなく、演奏者の自由に委ねられているようである。そのようにして数点の作品を制作している(下の写真は終了時点で撮影したもの)。

 

 

 

[素材]木材、石、紙、砂など。
[展示方法]制作の始まりから終了までを動画に撮り、展示会場では2台のプロジェクターで直交する壁面に映写している。

各作品の〉映写時間が異なっているので、二つの動画は少しずつすれていっている。

会場内で、即興制作の記録ビデオを直交する壁面に映写

 [コメント]この作品(動画)を見ながら、菅木志雄を連想した。そして「これはポスト菅木志雄だ」と思った。どういう意味でかというと、

1.制作のシステムが明確に意識されていること、あるいはシステムにしたがって、”絵画を生成していくこと”自体をテーマにしていること。

2.「他者」の介在(あるいは協働)をシステムに取り込んでいること(それなしには、この制作は意味をなさないと言いうるほどに)。

 

 

 

吉田麻未展-Points of view-(11月15日~20日 JINEN GALLERY/日本橋小伝馬町)

 

Base キャンバス・ナイロン糸 サイズ不定  ※古いキャンバスの端切れをナイロン糸で繋いでいる。来場者に一箇所切ってもらって、形が次第に変化していく。

Landscape 板・紙・スチレンボード 80×2.2×60cm

木・石粉粘土・ペン 8×8×9cm

                                                                                                             [ステイトメント]
pointa of view
幼い頃のある日、眠りにつく少し前の静かな時間。ふと自分の手を見つめ、握ったり開いたりを繰り返しました。

この手は私が動かしている。でも、一本一本の指のことを考えなくても、握ることも開くこともできている。

手を見つめながら考えるほど、自分の頭の中と体が分かれていくような気持ち悪さがあり、怖くなって考えるのをやめました。

高校生の頃、いつからか抱えていた精神的な不安が、体力がつくとともに薄れていくことに気がつきました。

自分とは、気持ちとは、精神とは、それだけでは存在しない、とても曖昧なものだったのかもしれない。

体の調子しだいで自分はいつも変容している。それまでのことが馬鹿馬鹿しくなるような気づきでした。

なにかを作ろうとした時、なぜそれを選んだのか、なぜそれが良いと思ったのか、次の日も良いと思うのか、

価値とは、意識とは、感覚とはなにか、次々と疑問が溢れ出し、困ってしまいます。

確固たるものは、本当にないのか。自分にだけないのか。どこにもないのか。

気づくことで、それまで見ていたあらゆるものの見え方が変わります。

その変化は自分の中でしか起こっておらず、周囲はなんら変わっていません。

私がしていることは、膨れ上がる疑問の塊を少しずつ削り、整理し、視点を変え、探ることなのかもしれません。

作ることや、誰かと関わることを通して。 2016.11.15


[コメント]
今年の春に大学院を修了。、社会人に仲間入りして初の個展です。
新たな生活に馴れていく時期での制作・発表なので、十分には意を尽くせなかったかと思いますが、
いわば“現況報告”として見せてもらえた個展と言えるでしょうか。。
作品「Base」は来場者の参加を促し、そのたびに形が変化していきます。
作品に参加した来場者は、いわば”before and after”の二つの作品を見ることになりますが、
しかもその二つを見ることができるのはその参加者だけというところが、興味を引くところです。
ここでもやはり、「“作品”はどこで成立するのか」ということが問われそうです。