【趣旨】

 ある画廊のオーナーとの間で『現代工芸論』が話題になった中で、オーナーが「アートも哲学も宗教も科学もすべてがそこから出てくるような根源的なものに、この本は触れていると思う」と発言した。いささか過分の褒め言葉と恐縮したが、そういうふうに読み込んでもらえるのはとても嬉しいことだと、喜びを素直に表明したいほどには、著述動機としてそのような意図が私の中にあったことも確かである。

 私は1980年の1月に、現代工芸をフィールドとする季刊の評論誌を創刊して、雑誌の名前を「かたち」とつけた。その趣旨は、アートと工芸、美術を含むすべての表現メディア、ビジュアルなものとアンビジュアルなもの、芸術と産業、経済と政治と教育と法律と等々、人間社会のあらゆる営為を「かたちを求めていくもの」とみなして、「かたち」という視点でトータルに捉えていくことができる、というふうに考えることにあった。このとき私は「かたち」をまさに「根源的なもの」としてイメージしたのである(たとえば、第5号から第8号の間は、「都市」「音楽」「映像」「言葉」をテーマとした特集を組み、「かたち」の視点から捉えていくということを試みた。)「かたち」とは私にとって、日本文化の根源を象徴する言葉であるとともに、「アートも哲学も宗教も科学もすべてがそこから出てくる」ような領域を名指す言葉として、私の内に棲みついてきた。

 現代工芸の世界ではアートと工芸の同異がよく議論されるけれども、大筋の流れとしては両分野のボーダレス化が促進されてきたと言ってよい。今後はこの方向性を更に推し進めて、よりトータルな視野で「根源的なもの」を探求していくことが要請されて

いるように思う。それによって美術でも工業でもない、より普遍的な人間の「ものづくり」の使命が、「工芸」に託されていくことになるのである。

 とはいえ、現状において「根源へ」のアプローチは必ずしも平坦な道ではない。社会現象としてはむしろ表層化の方が急激に進行していってるように見えるし、ジャンルの細分化もますます複雑化しつつある。もはや「根源的なもの」は雲散霧消したとする考え方も強固に存在するようだ。

 確かに、手仕事とか身体性に基づく文化的営為とか、物質性・五感性を重視するといったことは、今日の社会ではリアリティを持ちにくくなっていく傾向にある。そのような観方の下では、「根源へ」の志向は時代の流れに対して逆流していると判断されてしまう。

 それでもやはり、物質的世界とのかかわりを介した創作に携わる人間として、「根源的なもの」へのアプローチを進めていくことこそが未来への前向きの方向であり、それこそが地球の文明を豊穣に推進していくものであるということを信じたい。その確信の下で、「根源へ」を志向する道を探っていきたいと考えている。(笹山)