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【第1回「根源へ展」(2015年)総評】


 この展覧会への参加がこれからの長い創作人生の起点として位置づけられる――、

 出品者にとってはそのような意味合いが色濃くあったように思われます。

 起点として捉えるならば、ここで得たものをこれから先どのように展開していくか、

 ものづくり・表現者としての自己確立に至る道程をいかに歩んでいくかということこそが、

 肝要な事柄であり、また今後の楽しみとなるところかと思います。

 なのでここでの総評も、未来を遠望するような立ち位置から現在を捉えるというような心持ちで

 作品を見ることを試みてみたいと思います。

 会期中に行なわれた、かたち塾主催のトークセッションでのやりとりをも参照しました。




穴見尚之

  
神様はどこ?                     神様はどこ?2         どこへ?
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この展覧会への参加を機会として木口版画の制作に絞り込んでいった。
木口版画は堅い材質の木の断面を生地とする木版の技法である。
「緻密で、幻想的な表現」に向いている木口版画の特徴は、
穴見の気質に合っているように感じられる。


 木口版画の制作に絞り込んでいったのは、「彫るのが楽しくて、どこまでも探究していけるから」
と穴見は言っている。
哲学者レヴィナスの『全体性と無限』のなかに、穴見の制作の様子を想像させる文章を見つけたので、
紹介しておこう。


「手とは、探索と支配とを本質とするものである。手による探索は技術的に不完全な行動なのではなく、かえっていっさいの技術の条件なのである。(中略)目的とは、失敗する危険を冒しながら、手が探索する終極点のことである。」


 このように捉えられる穴見の創作は、「神はどこに?」というテーマをとっかかりとして、
自らの内なる世界にその探索の手を伸ばしていくと思われる。



天沼雅史

  
 
        もう一度                 サソリ                  廃器T、U
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 「ゴミを素材にしていいものを作る」というテーマを自らに課して制作した。
 「サソリ」は胴体部が目の小さな金網、足とハサミの部分は割り箸、爪楊枝、
コルク(ハサミの部分)を使い、毒針を有するシッポは先のほうがモクネジ、
根元の方はビーズの断片を使っている。
脚の関節部分は楊枝でつないで、足が動くようになっている。


 「もう一度」は、コルクの栓とケーキ入れて運ぶためのプラスティックの
ケースを使って、花生ともプランターともつかないようなものを作っている。
造形として未消化な印象が残るが、素材を徹底的に分析していく方向を目指せば、
可能性はいっぱい秘められている、という意見もあった。

 「廃器」は銅板(これもゴミとして捨てられていたもの)を打ち出した、
いわゆるオーソドクスな工芸品である。


 以上の三種の作品は、「ゴミを素材にしていいものを作る」から派生した
三つの方向を示している。どのように継承されていくだろうか?




飯島暉子

  
受け身のものが四肢を得たとき(インスタレーション)
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リーフレットで紹介された作品「kakou」は、東京都主催の公募展
Tokyo Wonder Wall 2015」に入選したため不出品となり(同展に出品中 6月28日まで)、
これに換えて「受け身のものが四肢を得たとき」というタイトルの
インスタレーション作品が発表された。


 スケッチブックなどに見られるリング綴じのノートの表紙を針金で巻き、
それを燃やすことによって得られたオブジェクトを「四肢を得た受け身のもの」
と名づけて、数点を床に這わせている。
 「焼く」という方法でモノの不在を表すとともに、焼け残ったものの物質感を通して
新たなビジョンの生成を促すというような作調である。

 そのようにして得られた作品「kakou」も「受け身のものが四肢を得たとき」も、
金属線の持つ物質感が強烈なリアリティを発している。『現代工芸論』読後の
「物質の側から歩み寄る」という提案が具体性を帯びてきているように感じられた。




菅原央喜

   
               犬T              犬U             犬V            足

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 アルミニウム鋳造の犬の彫刻3点と、FRPで作った足の彫刻1点の出品。
会場を訪れた人たちは、菅原の犬の彫刻作品を結構面白がって見ていた。
菅原が目指す「誰もが面白く観照できる彫刻」の、まずは第1歩が踏み出された
というところか。

 
 この面白さはどこから来るのかを検討してみた。とりあえず得られた結論は、
「フィギュア的な感覚とリアルな表現との中間的な造形が、軽快感と楽しさを
生み出している」というものである。
 「誰もが面白がる」から「他者を迎え入れる
(hospitality)」造形表現への道筋が
開けていくことを期待したい。


 足の彫刻は「平面的なフラットなものの見方を彫刻に取り入れる」という意図を
試みたものである。いわば「2D空間に3D表現を」ではなく
「3D空間に2D表現を」成り立たせようとした。この場合の「辻褄」を
どう考えていくかというところに、この試みの成否がかかっている。




吉田麻未

  
         水平            15050131  


                    二つの秩序


 「水平」は、紙の中心からはじめて、描かれた線にできるだけ近づけて
線を引いていくというルールにしたがって線を引いていく。そして線の先端が
画面の縁に来るまで延々と繋いでいって制作された作品である。

 15050131」は、今年の5月1日から31日まで、
「水平」と同じ描き方を設定して毎日1枚づつ紙を替えて制作していった作品。


 「二つの秩序」は紙のピースを、一方は上方からばら撒いてボード上に生じた
ランダムな形をそのまま定着したもの、他方は、ある単純なルールの下で
一片づつボードに貼っていって作っていったものである。
ランダムのなかにも秩序があるとして、秩序とカオス(混沌)の関係についての
思考を促す創作である。


 トークセッションでは、「これは絵画なのか?」という疑問形を設定して
ディスカッションした。作者自身は、「絵画」を成り立たせている条件を
究極まで排除していくが、その結果が絵画でなくなってもいいと考えている、
という言い方を作者はした。

 これはいわば、人為と自然(自ずから然り)の関係を「根源へ」の志向性において
捉えていこうとする試みであると解釈することができる。


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