かたちブックス
The Works of Okura Tatsuo
目 次
第一章 工房の四季 …………9
第二章 食を想う — 和食…………15
第三章 一枚の写真から — 木地師とは?…………31
第四章 漆とは?…………53
第五章産業としての漆器作り…………89
図版I…………101
第六章 番外編…………117
図版Ⅱ…………141
〝 大蔵流 〟根来塗の試み 河田 貞…………188
質実にして雅味ある漆器、
そして「見立ての仕事」へ 笹山 央…………191
展開…………205
プロフィール
1952年 木曽に生まれる
1972~75年 東京でうるし塗りの修行とデザインの勉強
1975~82年 長野の実家に帰り、主に木地挽きに従事
1982年 静岡県伊豆に工房を移転、作品作りをメインにする
1996年 ドイツ巡回展「日本の現代塗物十二人展」~98年 2003年 黒田陶苑(銀座)にて大藏達雄展、以降毎年開催
2012年 さんしんギャラリー善(佐野美術館企画運営)大藏達雄漆展
その他 全国のギャラリー、百貨店にて個展開催
[大蔵達雄 むすびの言葉より]
この作業はおよそ二十年かかりました。木地の製造や、漆の精製、顔料、漆塗り工
程などを一つ一つ検証し、ときに実験もしました。とはいえ、正解にたどり着いたなど
と言うつもりはありません。けれど、『アレは思い込みに過ぎなかった』と愚かさを次々
に自覚できたことが何よりの収穫でした。一見正しい教科書的技術論にこだわり続け
るよりも、自分がどんな仕事がしたいか目標を明確にして歩んでいく方が重要だと気
づくことができました。
[笹山 央「質実にして雅味ある漆器、そして「見立ての仕事」へ」より
「擎子」として生まれ変わった作品には銘が付けられているので、“見立て”の内容は銘に表されていると考えられます。しかし『素材のなかに面白味を発見』していこうとするのは大蔵の精神であり、発見されたものを最初に「面白い」と認めるのも大蔵の精神です。その意味でいえば、そこに発見され続けていくものは、突きつめれば大蔵の精神そのものと言うこともできるでしょう。
そのように考えたとき、“見立ての仕事”が追い求め、そしてそれにつれて「視覚が自由に」なっていくなかで形象化されていくものは、彼の精神そのものではないかと私などは思うのです。そのような意識で「擎子」のシリーズを観ていくと、作品は漆作家大蔵達雄自身の像として見えてきても、間違ってはいないと私は考えています。
[笹山 央「質実にして雅味ある漆器、そして「見立ての仕事」へ」より
「擎子」として生まれ変わった作品には銘が付けられているので、“見立て”の内容は銘に表されていると考えられます。しかし『素材のなかに面白味を発見』していこうとするのは大蔵の精神であり、発見されたものを最初に「面白い」と認めるのも大蔵の精神です。その意味でいえば、そこに発見され続けていくものは、突きつめれば大蔵の精神そのものと言うこともできるでしょう。
そのように考えたとき、“見立ての仕事”が追い求め、そしてそれにつれて「視覚が自由に」なっていくなかで形象化されていくものは、彼の精神そのものではないかと私などは思うのです。そのような意識で「擎子」のシリーズを観ていくと、作品は漆作家大蔵達雄自身の像として見えてきても、間違ってはいないと私は考えています。