創刊号[2024 年5月13日発行]
急に思いついてメルマガ始めます。
かたちブックス周辺の出来事、関係者からのメッセージ、時事的な話題、
雑感、短い論文、などを載せていこうと考えています。
目次
【TOPIC Ⅰ】003「海野次郎水墨作品集」発刊
【TOPIC Ⅱ】 002『吾妻勝彦作品集I LOVE YOU !』の反響報告
【TOPIC Ⅲ】
[予告] 『飯島直樹インテリアデザイン作品集』の出版
【TOPIC Ⅳ】
[よもやま話] ー海野次郎vs笹山央ギャラリートークよりー
【TOPIC Ⅰ】003「海野次郎水墨作品集」発刊
4月20日
003「海野次郎水墨画作品集」を出版しました。
A4版 頁数160頁 掲載作品点数70点。
定価3.500円(税別)
《目次》
第1章 山水
第2章 間
第3章 色
第4章 間に立つ
解説文・笹山央、海野次郎
もう少し詳し目の内容紹介はこちらで
4月21日
開催中の「海野次郎水墨画展」(4.19-4.24 AYUMIGallery, 神楽坂)の会場内でギャラリートークが行われました。
海野次郎と笹山央による質疑応答形式のトークでした。
テーマは、「墨の濃淡による空間表現」から「余白とは? 間とは?」へと展開していきました。
※ 詳細はYoutubeでご覧になれます。
※ ギャラリートークのダイジェストは後方に掲載しています。
【TOPIC Ⅱ】
002『吾妻勝彦作品集I LOVE YOU !』の反響報告
2月17日に出版した『吾妻勝彦作品集』の反響がインドの読者からありました。
以下に紹介します
「日本人の吾妻勝彦氏の代表的な作品を、カタチ・ブックス(東京、編集部: 編集:笹山央)。本のタイトルは「アートワークス」: I Love You!』、定価3,000円、USBN:9784991302916。つい数日前、そのコピーが郵送されてきた。私はこの本が気に入った。
この本は、吾妻勝彦が工芸彫刻家として、木、粘土、ロープを鮮やかな色彩で使用した後半生を描いた(あるいは現在している)作品を余すところなく捉えている。
しかし、彼の芸術人生の前半、粘土、ロープ、木を組み合わせた、日本古来の家屋建築の技法に基づく彫刻に、私はまず彼の個性的な作品に惹かれた。素晴らしい!どんな素材でも、その色彩の自然な美しさ、その質感の自然な流れのリズム、それは自然なものだ。吾妻勝彦さん以上にそれを理解している人がいるだろうか!- 彼らはそれを生き続けている!次の本では、必ずそれらを明るみに出してください!素晴らしい作品です!」
【TOPIC Ⅲ】予告
インテリアデザイン界の重鎮飯島直樹の作品集『溶ける機能——飯島直樹のデザイン手法』の出版は5月20日の予定です。
2010年から2023年の約10年間の仕事を紹介しています。頁数392ページ。
豊富な画像、インタビュー、解説などで、飯島デザインの今に迫ります。
インタビュー記事は、笹山がインタビュアーを務めました。
🔹
「溶ける機能(Melting Function)」という言葉は、編集の過程で閃きました。これは飯島氏の出デザイン思想の核心を伝えるとともに、インテリアデザインという分野の創作の特徴を表現していると考えられます。
「溶ける」という言葉は、ある意味ではポストモダンの精神を象徴的に表していると言うことも可能でしょう。
🔹
飯島氏と笹山はほぼ同じ年で、1970年前後の学生運動(全共闘)のさなかに大学に在学しています。
それで話が合うところもあって、インタビュー内でも全共闘時代の話をカットせずに残しました。
デザイン系の本で、1970年前後の全共闘運動を語っているような本はあまり聞かないですね。たっぷりと生々しく語っています。
出版前の17日に、出版記念の会が催されます。
出席を希望される方は、「メルマガを見た」と記入してお申し込みください。、
Sample Content
【TOPIC Ⅳ】よもやま話
――海野次郎vs笹山央ギャラリートークより――
墨の濃淡のはたらきについての話題から、〝白″の意味、〝余白″とは何か、といった話を主題にして1時間弱ほどトークしました。そのダイジェストです。
🔹
笹山 基本的に墨の濃淡という問題なんですけども、説明するまでもなく、墨で書くのでグレーの薄い段階から黒のずっとグラデーションありますけども、濃淡ということと、西洋の絵画であれば、白から黒への移り変わりを利用して明暗っていうのを表現するわけですけども、水墨画の場合は明暗表現じゃなくてね濃淡を活用するっていうことは遠近ですね、空間の奥行きを表現するときに濃淡を使うっていうのがあるわけですね。
原則的に手前のものが黒、遠くのものは薄いグレーで、だんだん、一番無限の彼方は白ですよね。白から一番手前は黒というそういう濃淡を使って空間を表現していくっていうのが水墨の表現なんだと。
上野の都美術館では水墨画の公募展を主宰するいくつか団体があって、見に行ったりして、なんか妙だなって、なんか違和感を感じるっていうかね。なんだろうなと思っていたんですけども要するに濃淡の変化を使って明暗を表現しようとしてるんですよね。
つまり西洋の絵画の考え方で描いている。写実という観点から見たときには、それでいいんだろうけど、でも墨を使って、西洋絵画的な明暗表現で立体感とか空間とかを表現する必要があるのかどうかっていうことだとか。
海野 日本人の遠近法っていうのは、感覚の遠近法なんですよね。見えたものが近い、良く見えないものは遠いっていう感じで作ってるわけなんですよね。その辺はちょっと僕らがいわゆる西洋的な、写真的な見え方で描かれたような水墨画を見ると、非常に違和感を感じるとこかなと思うんです。
笹山 白の意味を考え始めて、そこには4つぐらいの意味があって、それを使い分けていくんだなっていうふに思えてきた。その4つとは、
①遠近感の場合、白に近づくほど遠く(奥)を表す。
②西洋の絵画表現では、光の反射すなわちハイライトを表す。
③色としての「白」を表す。(雪、霧、白い花など)
④何もない(空)を表す。
です。
その白を、水墨の場合はそれを、あるいはその四つの要素を組み合わせてね、何か巧妙に生かしながら変えていくっていう、そういうところがあるんじゃないかなという気がするんですね。
海野
そうですね、ちょっと僕の方の視点から言わせてもらいます。
風景に対しての考え方がやっぱり東洋と西洋と違うと思うんですよね。なんていうかな、英語に訳すとねランドスケープなんだけど、日本人としてはランドスケープと思ってなくて、山水っていうのは風景画じゃないんですよね。でも、表っから見ると風景が描かれているんです。しかし実は風景画じゃなくて山水画なんだって思うんですよね。それは今笹山さんおっしゃったように、一つの表現なんだけど、いくつもの意味が、微妙に交差しながらくっついて、全部違う視点を持っているっていう、そういうことを実はこの山水っていうのはやってると思うんですよね。
山水っていうのは何かっていうと、私もずっとやってて、山水画の一番最初っていうのはね、何て言うかな~、崑崙山なんですよね。山があって下で象がそれを背負ってて、その下にカメがいて、一番下に海があるとかいう、その上で人が生きている。つまり宇宙がどうできてるかっていうのが、山水画のそもそもの起こりなんです。それが時代が進んでくるにつれて合理的になっていって、そんな世界を信じてる人がいなくなるから、だんだんと写実的な風景に近くなってくるんですけども、根本的にはあれは宇宙論の絵画で、現実の世界を宇宙論の中で見てる。二重三重の世界観を一つの絵画にしていくっていう伝統が東洋のいわゆる山水画だと思うんですよ。だからそこんところ、合理的なことをやりつつ、でも宇宙論なんだっていう、何ていうかな~、二つのことを同時に入れて同じものをいくつにも理解し解釈したりしていて、どっちかにしちゃうと、もう面白くない。嘘だろうということになるんです。この現実世界と違う世界とを同時に複数存在させるっていう、そういう試みだと思ってるんです