第7号[2024年11月29日発行]
第7号[2024年11月29日発行]
目次
【TOPIC Ⅰ】
漆のお椀つながり――合鹿椀など
文・笹山 央(かたちブックス主幹)
【TOPIC Ⅱ】よもやまばなし
繰り返し[反復]作業について(前号からの続き)
文・笹山 央
【TOPIC Ⅲ】追悼
河野恵美子さん(瑞珠ギャラリーオーナー)を偲ぶ
文・笹山 央
【TOPIC Ⅰ】
漆のお椀つながり――合鹿椀など
文・笹山 央(かたちブックス主幹)
季刊現代工芸誌『かたち』の復刊後の発行期間中(1987~1996)、東京都板橋区にある工芸ギャラリー瑞玉さんには大変お世話になったのですが、オーナーの河野恵美子さんがこの夏に亡くなられて(【TOPICⅢ参照】)、故人を偲んでいるうちにいろいろなことが思い出されてきました。その一つに、輪島塗の漆芸作家角偉三郎さんとのことがあります。角さんは生前は全国的に名を馳せた人気漆芸家でしたが、その代表作の一つに合鹿(ごうろく)椀というのがあります。
角偉三郎作 合鹿椀 径14cm
合鹿というのは、輪島市のある能登半島の先の方の山の中にあった柳田村(現在は能都町に編入)のなかの一つの字(あざ)の名前ですが、そこでは明治時代あたりまで木地師と称される人たちによって大振りのお椀が挽かれ、漆が塗られたものを合鹿椀と称していたと伝えられています。
合鹿椀の制作は戦前にはほとんど途絶えてしまいました。しかし戦後の民俗文化財の調査・研究により再認識され、一部のマニアの間で知られるようになっていきます。
私が最初に合鹿椀の存在を知ったのは、佐々木英さんという漆芸作家が創っていた合鹿椀を実見したときです。佐々木さんは螺鈿(貝や金属の箔を貼って器物を装飾する技法)の技法を得意としていた蒔絵の作家で、日本工芸会主催の日本伝統工芸展の漆芸部門では、オリジナリティと堅実な技量を持ち合わせた将来の漆工芸を背負って立つホープと、私は見ていました。
佐々木英 欅木地溜塗大椀 径 13.5cm
※合鹿椀の写真がないので、それに近い風合いのお椀を紹介します。
そういう佐々木さんが作った合鹿椀なので、能登半島の山奥で作られた合鹿椀の風合いとは真逆の、形は瀟洒で塗りも真塗りのかっちりと作られたお椀でした。しかし佐々木さんの感覚が貫かれていて、典雅な中にも温かみを漂わせた作情に惹かれて、私は合鹿椀というお椀が大変好きになり、いつかこのお椀に煮物を盛り付けて、賞味する幸運に恵まれることを祈っておりました。
同じ時期(第1期『かたち』の発行期間中 1980~84)に私は佐々木さんと親しくお付き合いさせていただきながら、同時に輪島塗の角偉三郎さんの工房を何度か訪ねていき、夜は輪島市の猟師町の赤提灯のお店を飲み歩いたりしてました。当時角さんは日展の工芸科に所属していましたが、日展を脱退するかどうか悩んでいて、私は脱退に賛成して角さんをたきつけていたのですが、そういう中で、輪島に隣接する柳田村の合鹿椀の話題も出てきました。やがて角さんは無所属作家としての活動を始めるとともに、オリジナルな合鹿椀も作りはじめていました。
角さんの合鹿椀は佐々木さんのそれとは対照的に、野趣味に富むものでした。一般の人は漆にかぶれやすいので手で触ることはありませんが、角さんは手で触っても平気で、漆の液を指につけて塗ったりもしてました。そしてこの野趣味あふれるお椀が漆器愛好家の間で爆発的な人気を得て、角さんのシンボルマークとも見なされるようになりました。
角さんの合鹿椀は彼自身の作風にも決定的な影響をおよぼして、漆器創作の新しい領域を切り開いていくことになります。柳田村由来の合鹿椀は、まさに1980年代のポストモダン期における漆器創作の美の規準を提示したと言えると思います。
佐々木英さんは1984年50歳で、角偉三郎さんは2005年65歳でに亡くなられて、両者の間には20年の隔たりがあります。しかしそれぞれに一つの時代を画する創作をされ、現代漆芸史にその足跡を遺されたいったと私は思います。
話のついでに、我が家で所蔵する漆器のお椀から二種ほどみていただきます。一つは、佐々木英さんの唯一の内弟子であった三好かがりさんの螺鈿模様の汁椀、もう一つは、長野県木曽の出身の大蔵達雄さんの根来の汁椀です。
三好かがり 彩切貝時雨の椀 径11.5cm
三好さんは佐々木さんの瀟洒な作行きを受け継いでおり、我が家ではハレの場の膳を飾ります。大蔵さんの椀は木地から塗りまで通しの制作で、漆器の骨格を押さえた上での野趣味溢れる作情は角さんの系統に位置づけられる作家と言えるでしょう。
大蔵達達雄 (左)根来天目椀 径 12.5cm (右)根来粥椀 径 11.5cm
大蔵さんの椀は、我が家にやってきて以来、家人と共にカップルで毎朝使わなかった記憶がないくらいに使い続けています。この椀で汁を飲むことで心棒が一本体内に立てられるように感じられ、一日の精神の安定化をもたらしてくれます。我が家の朝餉には欠かせない器として存在感を発揮しています。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
【TOPIC Ⅲ】よもやまばなし
繰り返し作業について(前号からの続き)
文・笹山 央
私も現代工芸の創作にかかわり始めたころは、ほとんどの工芸の制作の土台をなしている“繰り返し作業”が、造形表現のクオリティを引き下げる要因になっている(コンセプトが弱く、繰り返し仕事でそれを補おうとしている)として批判的に捉えていました。そのため、現代工芸領域の作家からはいささかの反感を買ってもいました。
しかし、私自身が日常の所作において“繰り返し作業”を好み、それを始めるとなかなか止められないほどに没頭してしまうことが、これはどういうことだろうと気になっていました。それに世の中を広く見渡すと、どんな分野でも“繰り返し作業”が仕事のベースをなしている、あるいはどんな分野でも、基礎的な技術・技能の養成――たとえば道具の使い方、身体の強化、歌詠みの日々の習作など――“繰り返し作業”が基本になっていることが気になっていました。そこのところを更に追求していくと、“繰り返し作業”を積み重ねれば積み重ねるほどに技術力が高まり、産みだされてくるものの世界が深いまっていくことが了解されました。
アートの分野で言えば、コンセプトの表現よりも、表現された世界がどのぐらいの高みに達しているとか、深さを獲得しているかということの方が、より重要だと考えるようになったのです。つまり、才能を欲しいままに発揮して創作しているように振舞っているアーチストよりも、たとえば、伝え聞くブランクーシ(20世紀を代表する彫刻家)の制作ぶりのように、自宅とアトリエの間を毎日判を押したように通勤して制作の日々を送っていたアーチストの創作物の方がはるかに豊饒であると見なすということです。
創作物に対するこの考え方、この観方を獲得してからは、私はアートや工芸の作品を見ていく場合には、どれだけの“繰り返し作業”の集積の上にこの作品が成り立っているか、というところを見たり感じとったりするようにしてきました。
まさに日々精進。どんなものづくりや表現行為の場合にも、各々の作り手が日々精進をどう心がけているか、そこのところを見ていくようになりました。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
【TOPIC Ⅲ】追悼
河野恵美子さん(瑞珠ギャラリーオーナー)
東京都板橋区にある工芸ギャラリー瑞玉のオーナー河野恵美子さんがこの夏に逝去されました。享年90歳。
河野さんは、季刊工芸誌『かたち』の発行を広告出稿の形で最後まで支援を続けてくださった人です。支援者として5本の指に入る人と私は認識していたので、私にとっては恩人とすべき人です。
お付き合いが始まった始めのころは広告主と雑誌発行者として業務的な関係でしたが、あるとき、輪島の漆器作家角偉三郎さんを紹介してさしあげたことをきっかけとして親交が深まりました。東京から輪島へ、角さんの工房へ河野さんご一家をご案内したときは印象深い旅となり、忘れ難い思い出となっています。
角さんとの共同企画で、全国の漆器産地の職人さんたち有志に呼びかけ、東京都内のギャラリー数軒が連合して開催した「漆山脈」という催事にはギャラリーとして参加していただき、事務作業などいろいろ補佐していただきました。
そのほかにも、「かたち」で企画した染織(着物)作家の展覧会で数十万円の織りの帯をお買い上げいただいたり、瑞玉ギャラリーや、隣りで営業している和風レストラン「仏蘭西舎すいぎょく」での催事を企画させていただいたりして、1990年代の現代工芸シーンの一画を演出しえたかと思います。合掌
編集後記
かたちブックスめるまが便 第7号
発行メディア:工芸評論「かたち」 https://katachi21.com/
発行サイト:かたちブックス
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