第8号[2024年12月30日発行]
目次
【TOPIC Ⅰ】インテリアデザイン 《寄稿》
21世紀の建築・インテリアデザインの
クライアントは“超個人”では? 文・飯島直樹
【TOPIC Ⅱ】音楽
ノーベル平和賞の授賞式で聴いた
「蜜音」という三味線トリオの演奏が感動的でした。
【TOPIC Ⅲ】よもやまばなし
繰り返し作業について(続続)
やっぱり、ジル・ドゥールズ 文・笹山 央
【TOPIC Ⅳ】お知らせ
現代工芸評論誌『かたち』がイギリスの国立博物館に
蔵書されることになりました。
【TOPIC Ⅰ】インテリアデザイン 《寄稿》
21世紀の建築・インテリアデザインの
クライアントは“超個人”では?
文・飯島直樹
拙著「溶ける機能/飯島直樹のデザイン手法」に大阪のインテリアデザイナー東潤一郎さん、東京の竹中工務店所属の建築家濱野裕司さんから感想を寄せていただいた。素直にお礼を申し上げたいが、この紙面はレビューの場のようなので一言申し添えることにする。
拙著には昔のインテリアデザインとその周辺のことが多く記述されている。特に1970年代。東潤一郎さんは拙著の感想の中で、1970年頃に発生し経済活動の場として発展した日本のインテリアデザインのあり方は、今、完全に変革したことを実感されている。
では何が変革されたのだろうか。色々とあるだろうけれど、意外に大きい要素は「クライアントの変化」じゃないだろうか。
先日シンポジウムで加藤耕一さん(東大院西洋建築史教授)が話していた。
芸がつく領域(芸術、芸能、建築、そしてデザイン)はいつの時代もクライアント=パトロンを持っている。18世紀なら王様、市民革命を経た19世紀は市民(ブルジョア)で、そのパトロネージの結果、建築ジャンルにはそれぞれを代表する建築が生じる。宮殿や宗教建築、そして公共建築である。次に20世紀になるとクライアントは個人(大衆)となり、装飾が否定されモダンな住宅が主テーマとなる。今は21世紀となってしまった。建築やインテリアデザインの場面では、近年ポストモダンのシーンも生じ装飾の復権とかあったが、最近のデジタル革命により霧散しちゃって今がある。氏は現在の建築のテーマは形ではなくマテリアリティだと喝破するので、そこのところにグッとくるのだが。
ここで気になるのが、それでは現在の建築やインテリアデザインのクライアントは一体誰なのかということだ。日本の1970年代はクライアントが個人だった。セゾングループの堤清二さんは個人の代表のような方だったが、今はそういう方は見当たらない。
イーロン・マスクは超個人かもしれないと思うと、今の時代のクライアントは超個人なのかもしれない。おそらく気の遠くなるようなデータの果ての合議で開発が進むデベロッパーも超個人であり、21世紀前半の我らがクライアントと言えるのではないか。
もう一人感想を寄せていただいた浜野裕司さんは竹中工務店に所属する建築家であり、大組織クライアントとの仕事で苦労をされてきたはずだ。「デザイン力でなんとかしようというのは、崇高ではあるが、ともすれば危険なこと。・・・実社会での仕事は、それまでデザイナー自身が抱えていた不安や苦悩が顕在化する残酷な場でもある」とデザインの仕事を自戒される。それはデザイナーが向き合う「超個人」への自戒でもあるのではないか。個人が見えにくくなったクライアントという現象は、建築デザイン界に存外大きな影を落としているのかもしれない。
【TOPIC Ⅱ】音楽
ノーベル平和賞の授賞式で聴いた
「蜜音」という三味線トリオの演奏が感動的でした。
今年のノーベル平和賞を受賞した日本被団協(日本原水爆被爆者団体協議会)の代表委員田中熈巳さんの授賞式でのスピーチの際、その前振りで登場した三味線トリオの演奏が感動的で、余韻がずうっと残っています。
NHKのテレビでは映さなかったのでほとんどの人は聴けなかったようですが、イギリスの通信社ロイターが田中氏のスピーチを最初から最後まで動画に撮っていて、その中で視聴することができます。みなさんにも是非聴いて欲しいと思い、ここに紹介いたします。
蜜音(みつね)というグループはドイツのベルリンを拠点にして活動するフォークフュージョンバンドで、メンバーは日本人、ドイツ人、オーストラリア人、ギリシャ人といった多国籍バンドだそうです。津軽三味線のトリオを核に、ドラムスとコントラバスという構成です。演奏曲目は日本の民謡を主なレパートリーとしているようです。
日本ではほとんど知られていませんが、津軽三味線や伝統民謡が現代のポップな音楽の装いで、国境を超えて世界の人々の共感を得ているという情報は、実に悦ばしいことに思います。そのうち日本でもその音色とリズムを聴かせて欲しく思います。 (文・笹山 央)
演奏は動画の開始から28分40秒あたりから始まります。
田中氏のスピーチは演奏のあとです。
参考までに他の演奏も(YouTubeより)↓
【TOPIC Ⅲ】よもやまばなし
繰り返し作業について(続続)
やっぱり、ジル・ドゥールズ
文・笹山 央
繰り返し作業の意味について私なりに考えていこうとしていたころ(1990年前後)、哲学の世界ではジル・ドゥルーズに『差異と反復』という著書のあることは知っていました。しかし自分が考えようとしている「繰り返し」と、ジルが考えた「反復」とは内容的にまったく異なったものだろうと思い込んでいたし、仮にどこか接点があるにしても、哲学界の権威に寄りかかって論を構成するのは嫌だなと思っていたので、目を向けようともしないままにこの年まで過ごしてきたのです。
ところが今年、飯島直樹氏の作品集を制作する過程の中で、飯島氏との会話や、氏のデザインコンセプトを「溶ける機能」と名付けてみたことが、ジルの「器官なき身体」の概念などに繋がっていって、ジルの本を読み始めることになりました。
それでとりあえずわかったことは、私が考えようとしたこととジルが考えてきたことは全くかけ離れているわけでもなくて、『差異と反復』などは読み込んでいくと、啓発されることが多々含まれていそうだな、ということでした。とはいえ、ジルの思索は深遠であって、私が自分で解説できるところまでには到っていません。この先どれぐらい時間がかかるかわかりませんが、ジルの哲学へのアプローチを倦むことなく続けていきたいと思っています。
『差異と反復』から、どこを取り上げても難解であることに変わりありませんが、一箇所だけ文章を紹介しておきましょう。その難解さ加減を賞味するのも一興かと…。
「わたしたちが、能動的総合の観点から、異なった諸現在の契機として経験的に生きる〔体験する〕ものは、まさに、受動的総合における〔純粋〕過去の諸水準の絶えず増大してゆく共存でもあるのだ。(中略)わたしたちが一つの生について言えることは、複数の生についても言えるのだ。それぞれの生は、過ぎ去る現在であり、他の生を他の水準で繰り返す生である。」
(解釈の試み――たとえば知的障害を持つ人たちの創作は、「繰り返しの永遠に続いていくかとも見える繰り返し」を特徴とする点で共通するところがあります。所作の繰り返しは「過ぎ去る現在」としての彼らの意識の流れを形成し、その流れの中で「過去の諸水準の絶えず増大していく共存」が体験されます。言い換えれば、創作の渦中にある作者達の生は、自ら生きている彼ら自身の生であるとともに、「複数の生」として創作物の中に繰り返され、現前化していく生でもあります。――いかがでしょうか?)
※知的障害のある人の創作活動については、NHKEテレで毎週日曜日の午前8時55分~9時の番組「no art, no life」が参考になります。
彼らの創作はほとんどの人が“繰り返し作業”をベースにしてますが、生み出されてくる作品は、感性豊かな観察力に基づく多彩なイメージが滾々と湧き出てくるような印象があります。
一度是非ご覧になられることをお勧めします。
【TOPIC Ⅳ】お知らせ
現代工芸評論誌『かたち』がイギリスの国立博物館に
蔵書されることになりました。
1987年~1994年に発行していた季刊現代工芸誌『かたち』(第2次)のバックナンバーが、イギリスのヴィクトリア&アルバート博物館(V&A.M)の図書館に蔵書されることになりました。
同博物館は、現代美術や世界の古美術、工芸、デザインなど400万点の所蔵を中心とした博物館で、大英博物館と並ぶ国立の施設です。
伝統工芸、近代工芸、アヴァンギャルド工芸、機能主義、民藝派など「様々な意匠」が並び立って互いに抗争し合っていた時代に、(ジャズピアニストの山下洋輔さんよろしく)無手勝流の工芸理論を掲げて業界に爆弾を投げ込むような気持で雑誌を創刊し発行を続けてきたのが、ようやくなにがしかの意義が認められるかもしれないところまで来れたことに、感慨深いものを感じています。
編集主幹であった私の願望は、雑誌のタイトル『かたち』という日本語が国際語として遍く流布するところに設定してますので、これからも願望の成就に努めていく所存です。
今後ともよろしくご理解・ご支援お願い申し上げます。
編集後記
かたちブックスめるまが便 第8号
発行メディア:工芸評論「かたち」 https://katachi21.com/
発行サイト:かたちブックス
Copyright(c)Hiroshi Sasayama 2024
本メールの無断複製、転送をお断りします。
バックナンバー
お問合せ:katachibooks@gmail.com
めるまが発行のつどの通知を希望される方は、上記問い合わせメールよりお申し込みください。
よい年をお迎えください。