第22号[2026年5月8日発行]
目次
【TOPIC Ⅰ】よもやまばなし(哲学)
去年の夏、山内志朗教授の著作に出会い、
そのまま現在まで読み継いできています。
【TOPIC Ⅱ】 新刊のお知らせ
「『育楽のススメ」 若杉美來著
【TOPIC Ⅲ】POST KOGEI(脱「工芸」)
これからは、脱「工芸」(3)
日本文化のオリジナルな規範としての「工芸」の崩壊
【TOPIC Ⅰ】よもやまばなし(哲学)
去年の夏、山内志朗教授の著作に出会い、
そのまま現在まで読み継いできています。
このメルマガでときどき引き合いに出しているフランスの哲学者ジル・ドゥルーズの本は超難解。そこでためしに去年の夏ごろに解説本を何冊か読み比べてみたところ、慶応義塾大学で西洋中世哲学を研究されている山内志朗名誉教授のものが、私には一番馴染みやすく、ドゥルーズの読み方を導いてくれるものがありました。そして山内教授の著書にも興味を覚えて、十数冊ある単著を読み継いでいきました。
読みながら、示唆に富んでいると受けとめられる箇所はノートに書き写していったのですが、十数冊ともなるとそこそこの文量になってきました。
読み返してみると、私だけでなく、哲学というものがなんとなく気になっている若い人びとを、哲学の世界へといざなう格好のテキストになるのではないかという考えが生まれてきました。というのも、山内教授の語り口は決して「ナンカイ」というものではなく、わかりやすいですし、また日常的な思考のレベルの、あれやこれやの思いから入って、それを哲学的な言語で少しずつ整理していくといった叙述の仕方をしているので、初心の人にとっては、(もちろん一定の訓練は必要ですが)「ああ、哲学するとはこういうことか」と了解に導いてくれるものがあるのです。
私が読んだ著書を挙げておきます。
タイトル 出版社 初版出版年
普遍論争 平凡社ライブラリー 1992
天使の記号学 岩波書店 2001
ライプニッツ NHK出版 2003
つまずきとしての謎 日本放送出版協会 2007
冗長さが大切です 岩波書店 2007
誤読の哲学 青土社 2013
湯殿山の哲学 ぶねうま舎 2017
目的なき人生を生きる 角川新書 2018
過去と和解する 大和書房 2018
わからないまま考える 文藝春秋社 2021
ドゥルーズ内在性の形而上学 講談社 2021
中世哲学入門 ちくま新書 2023
流れることへの哲学 慶應義塾大学出版会 2025
SNSを見ていると、一部の人々の間に〝哲学〟がブームになっているようです。しかし私自身は、本邦で取り沙汰されている“哲学”というのにあまり関心がありません。その理由を述べようとすると面倒なことになるのですが、身体の比喩で言えば、いわゆる“体幹”が心もとなく感じられるから、ということになります。
私が信頼している哲学(研究)者は今のところ2人しかいません。その一人が山内教授です。ご専門の西洋中世哲学への入り方がドゥルーズを介してのものであるというところに、現代的な問題意識性が感じられますし、実際に、近世・近代市民の思惟の枠組みを基礎づけた土台としての中世哲学へのアプローチを試みられているので、「西洋的思惟形式」の発展過程を見晴らす視界がうんと広く・深く感じられる。そのあたりに「信頼感」の出所があります。
私は、本邦では「哲学的な思考方法」というのが正しい意味では育っていないと思っています(だから民主主義の本質も理解できない)。山内教授の著作を読んで初めて、「哲学的な思考方法」が極東温帯モンスーン地帯に根付いていく可能性を感じ始めています。
(H.S.)
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【TOPIC Ⅱ】新刊のお知らせ
『育楽のススメ』
若杉美來著
4月6日に、かたちブックスから『育楽のススメ』という本が出ました。著者は若杉美來という人で、福井市で保育園に勤める保育士さんです。大学を卒業して保育の仕事につき、現在はお孫さんもおられるとのことですから、保育士としてのキャリアは40年近くになるのでしょうか。その長い経験を踏まえての保育の指南書であり、エッセーです。
タイトルにある「育楽」とは、「子育てを楽しむ」という意味の著者の造語です。「子どもを育てる」という事業がいかに大変であるかということは、巷間によく語られているところですが、その大変さに押しつぶされることなく、むしろ子どもと親が一緒になって命の成長を楽しむ(amuseする)というスタンスで子育てしていくことをおススメします、という趣旨の本です。
「私が名づける育楽とは「育児を楽しむ」「育児を楽に考える」という意味を持っています。誰かと比べるのではなく、一人一人違う発達の流れに寄り添い、気持ちのあり方や視点を変えるだけで、違って見えてくる子どもの世界があることに気づいてほしいのです。」(「はじめに」より)
この本の編集作業を進めていく中で、育児本の現状がどんなものかを調べるために図書館に行ったりしましたが、実におびただしい数の関連本が出ているんですね。保育・育児とひと言で言っても、現実に起こっている問題は多岐にわたっていて、その各々に対処するノウハウも多様できめ細やかそうです。保育の技術や手法、知識、学識も日進月歩で蓄積されてきているようで、ふだんあまり馴染んでいない私の頭の中ではかえって混乱状況が発生するほどです。
大量の情報に恵まれながら、しかしテレビやSNSを通じて伝わってくる現実は、子育ての苦しさに堪えられずに放棄してしまうといった、悲惨な出来事のオンパレードです。どうなってるのとつい思ってしまうほどですが、結局、具体的な対処法というのは臨床的にはさほど有効ではなく、現場での試行錯誤はずうっと続いていくんだろうなということを感じます。
この本は、子育てで直面するさまざまな問題を具体的に取り上げてその対処法を具体的に提示するというタイプのものとは言えないと思います。むしろ、「子どもを育てる」「幼い命の成長を見守る」という事業にどう向き合っていくかという、心構え的なことを著者の経験に依りながら、問わず語りしているような本です。読んでいくうちに、疲れた心身に寄り添ってきてくれるような空気が感じられてくるのではないでしょうか。
ノウハウ本を読んで仕入れた知識を実践してみて上手くいかずにパニックに陥るよりも、子どもが寝ている間になんとなく本を開いて目を通しているうちに、心が慰められ、体に血の気がよみがえってきて、子育てに向かう活力が新しく満ちてくるような、そういうタイプの本であると、編集をお手伝いした私は思っています。
(H.S.)
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【TOPIC Ⅲ】POST KOGEI(脱「工芸」)Ⅲ
これからは、脱「工芸」(3)
日本文化のオリジナルな規範としての「工芸」の崩壊
そもそも私が「工芸」という言葉で指示される生活文化とか創作領域に関心を向けるようになったのは、“日本文化”への関心の一環としてであり、その“日本文化”なるものは、西洋の合理的な考え方とか近代的な発展史観のようなものからはみ出したところで営まれる、日本(極東温帯モンスーン地域)特有の生活感覚を意味しています。その「特有の生活感覚」の中に西洋近代が導入されてくるプロセスの中で「工芸」というカテゴリーが生まれてきたわけですが、それは世界の他の国々には見られない、そして今日の「インバウンド」現象をもたらす資源ともなった現象です。高齢域に入った私はそのことを後続世代に伝えることも自分の願望としてあって、それを機会あるごとに実行してきたわけですが、それが受け入れられなくなってきたということですね。
「工芸」には他方で、封建遺制的、因習的、形式主義的な面があることも否めません。そしてそこから由来していると思しきメンタリティを、年長者と年少者、経験量の多寡、社会的地位の高低などを根拠とする権力関係(固定されたマウント関係)に依存して強要してくることに対して、若い世代の人たちは抵抗しているように見えます。そういう若い人たちからしてみれば、「自分たちは「工芸」という既成の規範的な世界に従属するためにものを作ってるんじゃない」ということなんでしょう。
彼らは単純に、作りたいものを作りたい、面白く・楽しく時間を過ごせることをやりたいと思っているだけなんですね(そういう心情においては、「工芸云々」などといった能書きはうっとおしいだけなのかもしれません)。
それならそれでいい、というか、問題は、そのような現象が何を意味しているのかということですが、それは「工芸」という既成の規範でもって彼らの創作を方向づけることはできないということです。言い換えると、「工芸」という従来の枠組み、あるいは創作の指針といったことが通用しなくなっているということ、「工芸家」という職業を権威づけていた価値体系が崩壊していくということです。
つまり、今後求めていかなければならないことは、「工芸」に代わる新しい創作理論、特に「用と美を包括する」領域で展開されるものづくりをどう新しく意義付けしていくかということです。そのことがこれから問われてくるように思うわけです。
(H.S.)
編集後記
かたちブックスめるまが便 第22号
発行メディア:工芸評論「かたち」 https://katachi21.com/
発行サイト:かたちブックス
Copyright(c)Hiroshi Sasayama 2024
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