第23号[2026年6月12日発行]
目次
【TOPIC Ⅰ】新刊 読者の反響
『育楽のススメ』(若杉美來著)の読者からの反響を紹介します。
【TOPIC Ⅱ】 美術展覧会
音楽の語法を空間表現に生かした
リトアニアの画家チュルリョーニスの回顧展
【TOPIC Ⅲ】POST KOGEI(脱「工芸」)
これからは、脱「工芸」(4)
「工芸」という言葉は、歴史的役割を終えようとしている
【TOPIC Ⅰ】新刊 読者の反響
前回お知らせした新刊本『育楽のススメ』(若杉美來著)が好評です。
読者からの反響を紹介します。
【ご住職 M・Gさん】
今日は外に出ると30度の暑さですが、お寺の中は涼しい風が通り抜け、読書には最適。今ほど読み終えました。
メルマガに掲載されたこの本への書評も読みました。その通り、行き詰まらなくていいよ、息を詰めないでいいよ、という雰囲気が、全編に渡って流れていたと思います。
楽という題名の背景、つまり近所や親戚関係が薄くなり、助けてもらいようもない時代になっていることに、本当に共感します。ネットの情報や親の固定観念から抜けられないと、それは苦しいですよね。
全編に渡って、文章がとても柔らかく、きれいに整っていることも印象的でした。イラストにも心癒されながら、読み進められました。
僕も仏教書の編集や出版に何冊か携わりましたので、執筆から編集、校正と、重ねてこられたご苦労はよく分かるつもりです。この本が産まれるまでは、それこそ十月十日では済まなかったのではと思います。
じじばばも親たち大人の方が、固定観念から解放されて、楽に受け止める心が必要だなとしみじみ感じます。
【小学校 元校長 Y先生】
専門的な知識と確かな経験に基づいた子育ての秘訣が相まって、ウンウンとうなずきながら読んでいました。我が子も書かれているように育てれば良かったと反省もしています。
若いお母さんに是非とも読んで欲しいですね。1歳の孫がいるのですが、日々、子育てに悩んでいる娘にも読んでもらいます。保育士を目指す学生にも読んでもらいたいですよね。
とにかく、感動、感心しました。勉強させていただきました。ありがとうございました。
【こども園 主幹保育教諭 F先生】
一気に読めました。それは、読んでいると次々と読み続けたくなるからです。特に、自分の考えや思いが著者の先生と同じだったので、子育て中の保護者の方や、娘達に大切なことをお伝えする参考書のように思えました。
先生の思いも強く伝わってきましたし、自分が保育者であることに嬉しさを感じました。仕事に疲れた時に何度も読み返していきます!ありがとうございます。
【読者 Kさん】
良い御本に出会えて、それを友達に伝えたいです。
【営業マン Kさん】
会社の、去年出産した人に、プレゼントと一緒に送って喜ばれました。ありがとうございました。
【幼稚園園長 T先生】
拝読させていただきました。保護者、保育教諭、教員の誰が読んでも、新しく気づかせてもらったり、心当たりのある内容が掘り下げてあったりでとても読み応えがありました。
私は一気に読みましたが、短く区切ってあるので、少しずつ時間を見つけて読むこともできそうです。章毎の見出しや小見出し、そしてコラムや挿絵に引きつける工夫がしてあり、楽しませてもらいました。
それにしても、発達段階に沿った幅広い経験、知識、アドバイス…圧倒されました。長い間の積み重ね、お疲れ様でした。ありがとうございました。
【小学校校長 S先生】
改めて「育楽」というコトバが素敵だと感じました。最後の部分は特に良かったです。低学年の若い先生たちにも読んでほしい‼、そう感じました。
【元小学校教諭 H先生】
育児に悩むお母さんお父さんに、育児を楽しむきっかけを届けたい、という気持ちが伝わってきました。
【主婦 Aさん】
立ち読みだけと思ってパラパラしたのですが、最後まで目を通したいと思い購入しました。子育て、孫育てもとっくに終了しましたが、先月ママになった親戚の人に、プレゼントすることにしました。
【こども園 副主幹 M先生】
とても共感できることが多く、良かったです。育児や保育は楽しいことばかりではなく、大変さや悩みもある中で、その現実を受け止めながら“楽しむ視点”の大切さを感じました。
子どもの力を信じ、日々の生活や関わりの中で主体性や生きる力を育てていくことの重要性が伝わり、保育者として自分の関わりを見つめなおすきっかけになる内容だと思いました。
素敵な本に出合わせて貰ってありがとうございました。
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【TOPIC Ⅱ】美術展覧会
音楽の語法を空間表現に生かした
リトアニアの画家チュルリョーニスの回顧展
リトアニアの画家チュルリョーニス(1875∸1911)のことを私は知りませんでしたが、随分と評判がよいので、日本では三十数年ぶりという大回顧展を開催中の国立西洋美術館で見てきました。36年の生涯のうち絵を描いていたのは晩年の6年間、その前は音楽家として活動していて、絵画の作風の特徴については「音楽の構造を絵画に取り入れ、作曲家ならでは」の創作と紹介されています。
展示構成は、プロローグからエピローグの間を3つの章に分けて初期から遺作までほぼ制作年順に展示されているのですが、入場して数点ほど見ると私の頭の中はドビュッシー(1862-1918)を連想していました。海の絵であったし、活動時期がほぼ重なっているし、象徴主義的な作風がドビュッシーを思い起こさせたのです。。
象徴主義というのは、私の解釈では、「最も深いもの、それは表面的なものである」(『意味の論理学』ドゥルーズ)という、19世紀後半から20世紀初頭にフランスの文学運動の主流となった創作思想であり、美術運動においては“絵画の真実”としての平面性を自覚した表現を追求する思想です。絵画の物質的規定である平面性に基づく造形表現によって、非物質的(想像的・精神的)世界の表現が目指されていきます。
ドビュッシーの場合は、調性に基づく音の構築性を逸脱して、現象の表層的な移ろいを音色の流れのように表現しています。チュルリョーニスの場合は、自然観察を通して抽出され、幻視されてくる自然の形象を、絵画の平面性の中に音楽を作曲するように構成していくことによって、幻想的なイメージを浮き上が、らせてきます。
しかしチュルリョーニスとドビュッシーと、その目指すところは真逆です。ドビュッシーは色彩と化した音の流れを混沌とした光と風の世界に融け込ませていこうとするかのようですが、チュルリョーニスは、絵画(平面)的存在の混沌の中から、一つの確固たる形象を打ち立てていく方向を目指すようになります。その意志が、創作史の後半においてはリトアニアの大地や神話的世界の形象化へと向かっていく。晩年の記念碑的作品である『祭壇』は、チュルリョーニスの短い生涯の中での到達点と言えるかもしれません。
両者が進んでいった方向は、一方が普遍(インターナショナル)、他方がリージョナリズムを目指していて、ともに二十世紀世界を予兆的に表現していると見ることもできます。そして真逆の方向に進んでいくチュルリョーニスとドビュッシーが交錯する地点、チュルリョーニスの絵画の創造世界はその広場の中で繰り広げられているように私には見えてきました。
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TOPIC Ⅲ】POST KOGEI(脱「工芸」)Ⅳ
これからは、脱「工芸」(4)
「工芸」という言葉は
歴史的役割を終えようとしている
今日の創作の状況を批評的に捉えようとする場合に、「工芸」という言葉では間尺が合わなくなってきているということを、別な角度から見てみます。
まずは、私が雑誌「かたち」でアピールしてきた「現代工芸」を、世上に流布しているいわゆる「工芸」と比較するならば、以下のようなことになるかと思います。
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一般的な「工芸」のイメージ
⑴ 生活の道具に美的な要素を加えたもの(用途とアートを兼ね備えたもの)
⑵ 手仕事で作られるもの(手作りのもの)
⑶ 職人が作るもの(アーチストではない)
⑷ 伝統を引き継いでいくもの
↓(ここから帰結する事柄)
⑴ 使えるものでなければいけない。(美術的表現は工芸ではない)
⑵ 機械は使ってはいけない
素材は自然から得られてきたものでなければいけない。
⑶ 徒弟修業で技術を身につける。
用途に奉仕し、自己表現してはいけない
⑷ 伝統から逸脱してはいけない。
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私が「かたち」でアピールしてきた「工芸」(現代工芸論)
⑴ アートは「工芸」の一分野である。
(工芸は人間の生産と創造の活動全般を含む。)
「かたち」はものの機能(はたらき)と美的要素を含む
⑵ 「工芸」は現実の社会で利用されている技術や素材を活用も可。
工業技術一般、IT技術一般を活用できるし、素材は複製素材も含むも可。
⑶ 技術・技能は徒弟修業でなくとも、教育機関で習得することもできるし、
自分で独自に開拓する道もあり得る。
⑷「自己表現」というよりも、「作りたいものを作る」ことが基本。
⑸「用の美」とは、「道具としてのはたらきがあることをもって美とする」
という考え方。オブジェは創作と鑑賞のメディアとしてのはたらきが
認められる。
⑹ 伝統的技術を研究し、保存、継承の役割を持つ。現代の新しい技術とし
て再現するという道も、ひとつの選択肢としてあり得る。
⑺ 道具の正しい使い方を身につける。
⑻ 言葉としての「工芸」は日本文化のオリジナルな在り方をアピールする。
ところで1970年代以降、現代美術の保守化現象がということがあって、特に1980年代以降というのは、工芸的要素を取り込み、美術と工芸の境界を曖昧にして行き、いわばアートが市民社会に溶け込んでいく過程として見ることができます。それはある意味、アートの「工芸化」でもありました。しかしいずれにしても、今やアートも工芸もデザインも手芸も、場合によっては工業的領域の生産物も含めて、すべてが一括して”アート”と見なされていくようなこの時代に、それを「工芸」という言葉で枠付けしていくことは、もはや無理があると言える段階に至ったのかもしれません。つまり、前世紀における表現活動の諸ジャンルの分立状況から、それらが総合的に融合されていくプロセスの中で「工芸」はそれなりの役割を果たしてきたけれども、ここに至ってその歴史的役割を終えつつあると考えるべきであるのかもしれない、ということです。 (H.S.)
編集後記
かたちブックスめるまが便 第23号
発行メディア:工芸評論「かたち」 https://katachi21.com/
発行サイト:かたちブックス
Copyright(c)Hiroshi Sasayama 2024
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