第6号[2024年10月28日発行]
第6号[2024年10月28日発行]
目次
【TOPIC Ⅰ】
DIC川村記念美術館で「西川勝人 静寂の響き」展を観てきました。
文・中野みどり(染織作家)
【TOPIC Ⅱ】【秋の美術館展】
「日本現代美術私観」(東京都現代美術館)が面白いです。
文・笹山 央
【TOPIC Ⅲ】よもやま話
「繰り返し(反復)作業」について
文・笹山 央(かたちブックス主幹)
【TOPIC Ⅰ】
DIC川村記念美術館で「西川勝人 静寂の響き」展を観てきました。
文・中野みどり(染織作家)
「静物」
「西川勝人 静寂の響き」展示風景 撮影:西川勝人 ©Katsuhito Nishikawa 2024
千葉県佐倉市にあるDIC川村記念美術館で「西川勝人 静寂の響き」展を観た。
自然と対峙し、耳を澄まして聴くような作品だ。
印刷物やWeb上ではこの作品の本当の良さは伝わらないと思う。
自然光の中で、あるいは直に素材の質感や、透過性のある素材の奥からの光を感じ、生の花びらによる作品から立ち上る香りや色なども直にでなければ味わえない。
会場は混雑していたが、観る人たちの高揚感が静かに漂っているように感じた。
今回の展示で特に惹かれたものが『静寂の響き』という作品。
白と黒の四角いパネルのようなものが壁に市松状に24点配置されている。遠くからは白黒モノトーン作品というだけの感じだったが、近づくと白も黒も何か複雑な色相を呈している。そして壁に体を寄せ厚みの部分を覗くと何枚かの板状のアクリルガラスの層があり、それを細い針金で固定してある(その銀の細い針金の固定の仕方も、興味をそそられた)。
黒のように見えるアクリルガラスの層にはペパーミントグリーンのような色も覗いている。
私は植物を採集し、その中の色素を抽出し紬糸(絹)を染め、着物や帯を織っているが、紬の不規則な糸は光の乱反射もあり、布の動きによっても色が違って見える。
また、織物は、経糸や緯糸や隣り合う色糸などと関係しあって生まれてくる色だが、平安時代の女性の衣装のような、薄い布をかさねることで生まれてくる「重ね色目」というものもある。
また、真珠の色は白だけでなく、ピンクや黄色、ブルー、グレーなどいろいろあるが、その下に重なる層と光が干渉しあって生まれてくるという。そんなことも連想させる。
同じ作りの24点からなる『静物』という作品(本文巻頭写真参照)も、まさに植物から取り出したような色と柔らかな光を感じさせる。季節の光、時間帯で見え方も変わる。固定されえた色などないのだ。
この作品の並ぶ部屋は大きな窓から木々の緑が見えている。この木々も変化する。
そしてもう1点は『ラビリンス断片』という作品。(画像は前号参照)
実はこの広い会場へ入った時には、迷路のように繋がれた高さ1m程の白い展示台を見て、美術館も什器に随分凝ったことをするなあ・・と思った。
迷路は小部屋のような個室の感じもありながら、全体を見渡せる解放感もあり、観ている人々、話をしている人々も感じられる。
迷路を迷わず(!?)順に進めば、作品を鑑賞しつつ自然と出口へ誘われる。振り返り見渡せば余韻を味わうこともできる。迷路を歩きながら観るという行為を、他の誰かもそれを視野の片隅に入れながら移動いていく…。そんな動きも取り入れた作品なのか!?
とにかく静かに高揚してくる展示だった。
外光や自然の景観を取り入れたこの美術館の建物と作品が、観るものに心地よさを与えてくれる。
美術館は通常自然光が閉ざされた空間で、ライティングで見せるケースが多いが、自然光を取り入れた展示では観る側も自然体で鑑賞できる。
設計の段階から、窓から見える自然と作品と鑑賞者への深いまなざしの上で建てられた美術館であることがよくわかった。
美術館の運営に関わる理由での来年1月の休館(3月末まで延長になった)はとても残念だ。
交通の便は悪いが、コレクションも建築も庭も素晴らしく、何とかこの地で立て直してほしいと願うばかりだ。
作品1点を観るというだけではない、建物の入り口から徐々に鑑賞が始まる美術館。
秋も深まる頃に再び訪れたいと思う。光線が変わり、木々も変化する。
自然体で改めて西川作品を鑑賞するのが楽しみだ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
【TOPIC Ⅱ】【秋の美術館展】
「日本現代美術私観」(東京都現代美術館 8月3日~11月10日)が面白いです。
文・笹山 央
テーマ4「崩壊と再生」の展示室
(左)小谷元彦「サーフ・エンジェル」2022 ミクストメディア(中央奥)鴻池朋子「皮緞帳」」2015‐16 クレヨン、水彩、牛革 (右)青木美歌「Her songs are floating」2007 ガラス、車
高橋龍太郎という精神科のお医者さんが蒐集した作品300点ほどの展示です(所蔵作品の総数は約3500点と か)。コレクションは1990年代から始まってるのだそうですが、80年代あたりの作品も見かけました。戦後の日本現代美術を俯瞰するような趣もありますが、やはり90年代以降の作品群が充実しており、特に2011年の東日本大震災以降のコレクションは、現代美術のヴィヴィッドな状況をリアルに伝えてくれるように私には感じられました。
全体を6つのテーマで構成しているのですが、私には特に5.「私」の再定義、6.路上に還るが興味深かった。
5.は主として「絵画」の新しい状況を伝えてくれます。図録の解説文中には「外にある現象や環境との干渉によってはじめてあらわれたりするような「私」と向かいあっている」と解説しています。私(筆者)の解釈は、「私」という伝統的な概念に表現主体を委ねることはもはや不可能であって、むしろ「私」と「社会」が“溶け合い”その関数関係の中で表現が追求されているというような印象です。この展覧会でも、2011年以前に創作されたアートはかろうじて“「私」の表現”として見ることが可能であるように感じられますが、5.の範疇に入れられた作品(主として絵画)はもはや“「私」の表現”として創作することも、観照することも不可能であることが顕在化しつつあります。
ここに、何か新しい絵画(の方法)が生み出されてきているのではないか、そのあたりが、私にとっては非常にエクサイティングであるように感じられました。
「「私」と「社会」が“溶け合う”」という現象は、表現主体としての「私」批判あるいは「私」の解体を意味し、そのプロセス自体を造形表現の方法に転化していくということを意味している。そのように考えると、自然破壊と無差別虐殺のこの時代と社会に対抗していく拠点としての“美術”の新たな戦略が垣間見えてくるように思いました。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
【TOPIC Ⅲ】よもやま話
「繰り返し(反復)作業」について
文・笹山 央(かたちブックス主幹)
前号で紹介させていただいた工芸評論誌『かたち』は、第11・12合併号で休刊に追い込まれましたが、5年後には周りの人たちからの復刊の支援を受けて再出発を果すことができました。復刊『かたち』では工芸の手法と現代造形とを結びつける方法論の模索ということをひとつの主題に設定してアピールしていったのですが、その一つとして“繰り返し作業”の造形的可能性ということを看板に掲げたのです。
20世紀の表現論においては“創造性”ということに評価の重点が置かれて、単純な作業を繰り返すだけの制作は職人の非創造的な賃金労働として見下す風潮がありました。工芸的創作の世界はまさにそういった繰り返し仕事で成り立ってきたジャンルだったということもあって、“創造性”を誇るアートの世界からは差別的なまなざしを浴びていたのでした。工芸的な創作を現代(20世紀)の造形表現領域で一定の存在感を打ち出していくためには、この“繰り返し仕事”に現代の造形手法としての意義と価値を見出していくしかないと考え、「時間の肖像」という連載記事のページを作ってその作例を挙げながら評論していくという作業を重ねてきました。
21世紀に入ってから現代に至るまで、現代造形シーンにおいてはこの“繰り返し仕事”が爆発的な威力を発揮してきています。この方法論はプロの造形作家ばかりでなく、アマチュアや障害を持つ人たちの表現活動をもまき込んで、造形表現の世界を拡張し豊かにしてきたと私は感じています。
この“繰り返し仕事”を基軸として、現在の私は「日々精進こそアートという活動の核心である」という思想に到り着くことができました。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
編集後記
かたちブックスめるまが便 第6号
発行メディア:工芸評論「かたち」 https://katachi21.com/
発行サイト:かたちブックス
Copyright(c)Hiroshi Sasayama 2024
本メールの無断複製、転送をお断りします。
バックナンバー
お問合せ:katachibooks@gmail.com
めるまが発行のつどの通知を希望される方は、上記問い合わせメールよりお申し込みください。