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桶谷 寧 語録

エネルギーと時間

薪を燃料にして焼くのは、登り窯にしても穴窯にしても結局炎で焼くということですね。炎というのは熱量としては軽いんです。それで空気を熱くしてるだけなんですね。温度を上げていくには大量の燃料(薪)を必要とします。

炎という高温の空気を大量に発生させ続けても焼成に利用される熱は多くなく、そのほとんどは煙突から逃げていきます。それに対して炭は、あらかじめ木材の水分と水素が除去されているため、水の潜熱顕熱エネルギーが大幅に減るうえ、発生温度自体が鉄が溶けインゴットになるぐらいの温度です。また直射熱として伝熱するので、必要とする薪材が大幅に減り、徹夜するなどの無駄な労力がかかりません。

窯詰めのときに生木を隙間に入れ、点火して徐々に炭にしてから一気に高温にもっていきます。この炭にする段階は素焼きの状態と同じですから、湿った茶碗や大きな帯のようなものでも楽に焼くことができます。また灰が気化しますから、釉薬は窯のガスからも連続供給され、立体的な釉薬になります。

 

現象を数値化して捉えるということ

やきものという現象は数値化したり数字に置き換えたりすることができないんです。だから手当たり次第にやっていくしかない。それが数字とか文字に化けたとたん、楽になるんですね。しかし数字を当てにして探ろうとしたり考えようとするのは、もうその時点で駄目だと言えます。私は、数字になったものは見ないということにしてます。

 

完成形が見えない仕事

工芸という仕事は完成形が見えてることが多いですね。しかし自分の仕事としては完成形が見えないものの方が楽しい。曜変天目の研究を始めたのも、完成形が見えないということに魅力を感じていたことがあったと思います。

 

官窯系の仕事と民窯系の仕事

東アジアのやきものは官窯(官立の製陶工場)で作られたものと民窯(民間の窯)で作られたものがあります。官窯系の仕事は、いわば完璧を目標として一寸の狂いもないようなものをキリキリと神経を使って作ってます。少しでも狂いのあるものを作ると処刑されることもあるので、職人は毎日が命がけです。他方、民窯系のものはちょっとのんびりしているところがあって、仕事振りも見かけアバウトな感じもあります。

やきものの偶然的な効果は官窯系では一切認められず、そういう類いのものはすべて捨てられていました。偶然の美は不吉の兆候として忌み嫌われていたのです。曜変天目ほか天目系の焼造は民窯系の仕事なればこその産物です。偶然性が許容され、その美が称揚されたわけです。私はそういったあまりキリキリしない、おおらかさのある仕事が好きですね。

 

物質はどのように存在しているか

酸化鉄という物質は現実には存在しないんです。Fe2O3という分子は存在しません。それはH2Oという物質が現実には存在しないのと同じことです。水というのは水という個体に水という気体が溶けて液体になっているだけで、1気圧の下では水素と酸素がH2Oの形でつながっている物質は存在していないんです。溶媒と溶質が同じ、つまり水に水が溶けているという、ある意味特殊な在り方をしているのが水なんですね。H2Oという物質は1万気圧ぐらい圧力をかけないと存在し得ない。

 

光を放つ黒

天目の黒とか、桃山期の瀬戸黒とか初期楽焼の黒楽とかはみんな炭の色です。炭の中に埋め込んで焼きますから、1400度ぐらいの高温度下で無酸素状態だと炭が粘土の中に染み込んでいくんですね。地球の地殻の中で黒曜石ができていくのと同じです。

一般的には天目釉というと鉄分の色と思われてますし、実際酸化鉄の色をしています。そういった酸化鉄で出る黒という色は、光を吸収している色です。しかし私の天目の黒はエネルギー(光)を放っている黒なんですね。そこが一番大きく違うところです。

 

色のベースをなす黒と白

自然界の色は黒地ベースなんですね。黒の上に他の色が重なっているんです。白いものでも黒地に白が重なってます。桃山期の志野なんかもそうです。私のやきものも全部黒地に色が重なってるんですね。天目も井戸も織部も志野もみんなそうです。

しかし人間が作るものは白地をベースにしたものが多いようです。我々が通常見かけるやきものはほとんどが、白の上に色を焼き付けてます。志野は白地に白を重ねてるということです。ふだん我々はそういう色を見てるわけです。

 

自然界には自然数しか存在していない

どこの世界でも権威のある人がこうだと言うとみんなそれに従う傾向がありますが、私自身は自分で確認していないことは、なんであれ信じないんです。たとえそれが科学であっても信じてません。物理現象を説明するのに電気の波動式とか三角関数だのフーリエ関数だのを使ってどうのとかやってますけど、ああいうのはみんな嘘っぱちだと思ってるんですよ。

そもそも自然界には分数だの小数点だの無理数といったものは存在してないでしょう。1、2、3、‥‥という自然数しか存在していない。0というのもない。ただ「何もない」ということがあるだけですから。自然界の現象は自然数だけで説明できるはず。それができないのは、今の科学がまだそのレベルのものでしかないからと私は思ってます。

 

粘土は土建会社で、燃料は廃材を回収

曜変天目を研究してきた十数年の間、粘土を調達するには、土建会社へ行けばお金を払って捨ててるものを分けてもらえるし、燃料の薪は京都周辺には廃材がいつもいっぱい出ていて、これもお金を払って捨ててますから、粘土も廃材もお金付きで手に入れてた。