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これまでの開催 (PartⅡ-1 2018年9月)

 

2018年9月24日(月)~29日(土)
ギャルリ・プス 東京都中央区銀座5‐14‐16銀座アビタシオン201
[出品者]
花塚 愛(陶芸)
・安田萌音(日本画・平面造形)吉田麻未(ミクストメディア)

 

今回からPartⅡに入ります。そして「『現代工芸論』から生まれてきたもの」というサブタイトルは「育ちゆくもの」に変えることにしました。過去3回の出品者はいずれも大学または大学院在学中でしたが、PartⅡでは卒業ないし修了して社会に出たてというあたりに位置することになります。この意味で「育ちゆく」というプロセス上にあると見なせるかと考えたわけです。

 

展覧会リーフレット表紙

 

会場スナップ

 

花塚 愛(陶芸)

木と陽 h62:w17:d17 cm 陶

 

ふゆまつり h35:w34:d36cm 陶

[展覧会に向けてのステートメント
土の中に潜む星の記憶のようなものが、私の体をめぐる水や目の前に広がる景色をつくっている水を媒体にして、手のひらから伝わってくるのだと思います。生物として昔から知っていることです。ちゃんとした言葉では足りなくて、頭で考えているとずれてきたり、だんだんあやふやな感じがしてきてしまうのですが、土に触れるととてもしっかりと実感させられるのです。ひんやりとしてやわらかく指先や皮膚の境界をするりと超えてくる感覚、生き生きとしたイメージがわいてきます。
星の記憶、土の記憶、水の記憶、それを信じて辿ってゆくことが私の制作で、それをつくることが私にとって「ふつう」です。「いつものこと」で「ふつうのこと」です。
草花も動物もみんなこの土の上にふつうにしているということが、私には大事なことでした。時間は円を描きながら、全体がゆっくりと流れてゆくのを見つめて、毎日をふつうに生きてふつうにつくりたいと思います。
[企画者のコメント]
今回の展覧会への出品作は、画像作品のように、円対称的な形のものが出品されました。このような円形で左右対称を基調とする作品は、昨年私と花塚が出会うきっかけとなった、神奈川県美術展工芸部での大賞受賞作品あたりから作られ始めたようです。
それまでの作調は非シンメトリックで彫刻的であったのですが、いわゆる器型の、自己完結したような形のものが作られ始めたわけです。この形は「時間は円を描く」という実感から出てきているように思えます。そして花塚の中で一つの確信的認識にまで高まってきているのではないでしょうか?そういうメッセージを強烈に打ち出そうとしている作品のように私には感じられます。

 

 

安田萌音(日本画・平面造形)

行為の記録 -唸り- h103×w72.8cm
岩絵具,墨,土,粘土,麻布

 

烈々1 h65.5×w50cm
岩絵具,墨,土,粘土,麻布

 

烈々2 h65.5×w50cm
岩絵具,墨,土,粘土,麻布

 

Flow#2 h38×w16cm 岩絵具,墨,土,麻布

鳴動山脈#1 138×160cm
岩絵具,墨,土,麻布

鳴動山脈#2 138×160cm
岩絵具,墨,土,麻布

鳴動山脈#3 138×160cm
岩絵具,墨,土,麻布

 

[展覧会に向けてのステートメント]
自然を描くのではなく、自然を創る。
自然を模倣するのではなく、絵画の中で自然を再構築することで自然美を表現することを試みる。
絵の具から水分が蒸発する時、絵の具は自然とひび割れていく。それは、絵画の上に現れた、自然が作り出すひとつの美なのではないだろうか。予想外のひび割れが画面のいたるところで起き、私の手の届かないところで作品が完成する。
絵画の中で自然美が生まれるよう、私は媒介としての役割を果たしただけである。
私は大地を創るため、絵画用として精製されていない土を材料に制作している。画面いっぱいに大量の土を乗せると、そこに私だけの大地ができるのだ。それは紛れもなく大地から切り取られた大地であった。
その大地はひび割れ、私の手を離れて完成する。
私は絵画の中に大地を再構築したのだ。
[企画者のコメント]
安田の制作は、先例として、近いところでは洋画家の宮崎進の作品があるし、私が若かった頃の1960年代~80年代においてはたまさかに見られた画風のものです。
その経験を経ている者の目からすれば、特に新しさを感じさせるものではないですが、「絵画の中に大地を再構築する」というコンセプトにおいて、その志向するところの目新しさが感じられます。
それは一つの物質的(自然)世界を創ろうとする志向であって、「絵画の中に自然を写し取る」あるいは「自然を表現する」ということとは異なっています。
ただそのような志向が、これからの絵画にとってどういう意味を見出していくことになるのかについては、これからの長い探求の年月が待っているように思われます。
そのことに地道に付き合っていく、というか、そのプロセスを見守っていくということ自体もそれなりに興味の持てるところです。

 

吉田麻未(ミクストメディア)

HL2-S4 ”homeostasis” h42×w73cm 紙、インク

 

HL1-S h38.2×w38.2cm    紙、インク

 

PL4-33 “birthday”   サイズ可変 紙、インク

[展覧会に向けてのステートメント]
 風景、動植物、人の手によるものやそうでないもの、身の回りのものには視覚的に美しいとか心地よいと感じるものがあります。それら視覚的に「魅力的なもの」と感じる根源的なところを求めたいというのが私の現在の動機です。
 自分が魅力を感じるいくつかのものの共通点を探し、それらは(自然のものも人の手によるものも)必ず意図と制約とが積み重なった結果として現れた形であるから魅力的なのだと仮定しました。制作は自分の意図とその他の物事(自分の身体、環境、他者など)との関係を意識して試行しています。「魅力的なもの」の魅力の理由がすぐにはわからないのは、それが複合的なものだからと思われますが、制作によってその複雑さを紐解き、根源的なところへ近づくことができるのではないかと考えています。
[企画者のコメント]
「私」は「私である」部分と「私でない」部分とで成り立っていると考えることができます。「私である」部分は、何事かが自分の意思(意図)によってなされていると感じられる部分であり、「私でない」部分は、何事かが自分の意思からは離れて(しかし確かに私の身体を媒介として)進行していることを感じる部分です。その両者はどういう関係にあるんでしょうか?
こういう問いは、人間の歴史の中で、ある意味で古くから存在している問いであると思います。そして問われるたびに、新しい問いとして問い直されていく問いでもあります。いずれにしても、吉田の作品は、この問いに向き合って彼女なりの試行錯誤を重ねていく、その行跡にほかなりません。
 それはあらかじめアート作品として制作が意図されたわけのものではありませんが、
ひとつの表現空間として立ち現れてくるところが“見もの”と言えるでしょう。