2015年
「根源へ展Part Ⅰ -1」出品作
2016年
東京5美術大学連合卒業・修了制作展」出品作(2月18日~28日 新国立美術館)
[作品名]「不正確な8分の制作」
[制作方法] 床上の2~3m四方の枠のなかで、4種の素材(と送風機)を使って即興で作品を制作する。時間は約8分ほど。制作の間、もう一人の人間が5種類の楽器を鳴らしている。
楽器の使い方や使う順番は決まりがなく、演奏者の自由に委ねられているようである。そのようにして数点の作品を制作している(下の写真は終了時点で撮影したもの)。
[素材]木材、石、紙、砂など。
[展示方法]制作の始まりから終了までを動画に撮り、展示会場では2台のプロジェクターで直交する壁面に映写している。
各作品の〉映写時間が異なっているので、二つの動画は少しずつすれていっている。
[コメント]この作品(動画)を見ながら、菅木志雄を連想した。そして「これはポスト菅木志雄だ」と思った。どういう意味でかというと、
1.制作のシステムが明確に意識されていること、あるいはシステムにしたがって、”絵画を生成していくこと”自体をテーマにしていること。
2.「他者」の介在(あるいは協働)をシステムに取り込んでいること(それなしには、この制作は意味をなさないと言いうるほどに)。
吉田麻未展-Points of view-(11月15日~20日 JINEN GALLERY/日本橋小伝馬町)
[ステイトメント]
pointa of view
幼い頃のある日、眠りにつく少し前の静かな時間。ふと自分の手を見つめ、握ったり開いたりを繰り返しました。
この手は私が動かしている。でも、一本一本の指のことを考えなくても、握ることも開くこともできている。
手を見つめながら考えるほど、自分の頭の中と体が分かれていくような気持ち悪さがあり、怖くなって考えるのをやめました。
高校生の頃、いつからか抱えていた精神的な不安が、体力がつくとともに薄れていくことに気がつきました。
自分とは、気持ちとは、精神とは、それだけでは存在しない、とても曖昧なものだったのかもしれない。
体の調子しだいで自分はいつも変容している。それまでのことが馬鹿馬鹿しくなるような気づきでした。
なにかを作ろうとした時、なぜそれを選んだのか、なぜそれが良いと思ったのか、次の日も良いと思うのか、
価値とは、意識とは、感覚とはなにか、次々と疑問が溢れ出し、困ってしまいます。
確固たるものは、本当にないのか。自分にだけないのか。どこにもないのか。
気づくことで、それまで見ていたあらゆるものの見え方が変わります。
その変化は自分の中でしか起こっておらず、周囲はなんら変わっていません。
私がしていることは、膨れ上がる疑問の塊を少しずつ削り、整理し、視点を変え、探ることなのかもしれません。
作ることや、誰かと関わることを通して。 2016.11.15