[人は日々]
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morphous
個展”cosmogony”より 2014年 於/元麻布ギャラリー・東京
直方体状のガラスの塊を鋳型で成形し、削り出し、磨いてこの形にしています。
制作期間は、1日8時間の研磨作業を3か月ほど続けるとのこと。
個展〝ピュシスの庭 physis’ Garden” 出品作
於/東京画廊BTAP・東京 2017年
従来のガラスの玉のような作風から一変して、異種素材を通り入れ、
荒々しい表現を
みている。新境地を開きつつあることを感じさせる。
[プロフィール]
1958年 東京生まれ
日本画家狩野友信を母の曾祖父とする
(狩野派 狩野友信より5代目)
1980年 和光大学人文学部芸術学科日本画専攻卒業
1986年 ガラス制作開始
1992年 東京ガラス工芸研究所卒業
1995年 山梨県上野原町に工房『狩野グラススタジオ』設立
『GLASS ART CLASS DAIKANYAMA』設立
2001東京元麻布に工房『狩野グラススタジオ』移転
[主な展覧会及び受賞歴]
1989年 ドイツ・ハンブルグ グラスギャラリー「日本コンテンポラリーグラス展」出品
1992年 IGS「国際ガラス造形展’92」入選、日本商工会議所会頭賞
1997年 個展 東京・コンテンポラリーアートNIKI「’97狩野智宏展[YADORU]」
1999年 東京・サントリー美術館「日本のガラス2000年展」出品
2000年 新島「The Collective Art Conscious Festival, The Ground Swell 2000」招待出品
2002年 個展 東京・狩野グラススタジオ ’03狩野智宏展「灯火」
2004年 東京・アートフロントギャラリー「ART/ROOM展Vol.1 白い空間-シュールな夢」出品
2005年 個展 東京・ギャラリーhigh-kyo ’05狩野智宏展「amorphous」
社団法人照明学会 照明普及賞受賞(東京汐留ビルディング)
2006年 個展 東京・御殿山ガーデンホテルラフォーレ東京「HOSTEL」
個展 東京 髙會堂六本木「COLLABORATION[光の競演]」
2010年 香川県立ミュージアム/愛媛県立美術館 東京国立近代美術館工芸館所蔵名品展「耀くわざと美-日本工芸のいま」 招待出品
2012年 N .Y Onishi Gallry「 [HERITAGE] Japanese Works of Atr by Contemporary Artists」出品
2014年 個展 東京・元麻布ギャラリー「cosmogony-進化」
個展 京都・品「cosmogony-進化」
2015年 京都・北野天満宮「現代京都藝苑2015」出品
2017年 東京・東京画廊BTAP「狩野智宏|神代良明」2人展
[論評](冊子「人は日々」より)
表面はツルツルに磨かれており、ガラスの透明感は草の葉に結ぶ水滴を思わせる。削りと磨きの作業にどのぐらいの時間をかけるのか訊いたところ、1日に6~8時間で3ヶ月間、という回答を得た。そういう作品が何十点も作られてきているわけだから、1日に6~8時間の磨きの作業を何年も何年も続けていることになる。
これももうひとつのこだわりである。このこだわりは何だろうかと考えてみる。単なるガラスによる造形表現、透光性というガラスの特性を生かした美の表現、という以上の、光そのものへの興味、というようなことに思い当たる。ビー玉をお日様にかざしたその内部に繰り広げられる光彩の変幻への少年の憧憬、それそのものを造形化しようとする渇望のようなものである。ガラスという物質をメディアとして、玉の形に造形(可視)化していく光そのものへの思いを、かつて狩野さんはこんなふうに書いている。
「わずか数ミクロンの皮のようなスリガラス状の表面加工によって、光は透明で無垢なガラスの内部にたまり、光を宿し、光を放ちます。
このガラスが発している光は太陽光であり、その光が、ガラスという素材によって、かたちづくられています。ですから、作品は光によって呼吸しています。」(〝「HIKARI」についての覚書〟2002年 より)
工芸の創作には繰り返し作業はつきものである。工芸に限らず、美術の分野でも繰り返し作業をベースにしている作家は多い。若年時から水玉模様を描き続けている草間弥生などその典型である。
繰り返し作業にも大きく二通りあると思う。ひとつはその痕跡が残っていく在り方で、やればやるほどその努力の量で見る者を圧倒する(草間弥生型)。もうひとつは、磨きの作業のようにものを削り取っていくので、その痕跡が、少なくとも物理的には伝わりにくい。狩野さんの磨き作業は後者のタイプで、1日に6~8時間で3ヶ月間という作業量は隠蔽されていくばかりである。
しかし陰徳を積むという言葉があるように、形跡を可視的に残していかない繰り返し作業は、ものが内面化されていく作業であると解釈される。狩野さんの磨きの作業は、ガラスの玉(たま)が、魂(たま)あるいは霊(たま)へと変換されていく作業とも見なせるわけだ。ガラス内部の光彩のドラマは、作者の内面に育てられてきた美の光景に他ならないことになるだろう。そうだとしたら、玉はむしろ魂や霊の意味をも帯びた“珠”と見るのを妥当とすべきかもしれない。