第19号[2026年1月23日発行]
目次
【TOPIC Ⅰ】新刊のお知らせ
『長沢岳夫作品集 WHAT IS COPYWRITING?』発刊のお知らせ
【TOPIC Ⅱ】日本現代美術
水墨作家 海野次郎さんの「SUIBOKU」思想
【TOPIC Ⅲ】よもやま話
「かたち」について(続続) 〈かたち〉と〈形〉の関係
【悦ばしきコトノハ】
海野次郎『水墨—―間に立つ絵画』(仮称)より
【TOPIC Ⅰ】新刊のお知らせ
『長沢岳夫作品集 WHAT IS COPYWRITING?』
発刊のお知らせ
B5版 384頁/3月4日発売開始/発売元㈱リトルモア/価格6,300円(税別)
[出版記念展覧会]
3月2日(月)-7日(土)
会場/ギャラリー5610
東京都港区南青山5-6-10 5610番館 Tel : 03-3407-5610
この本の制作は、かたちブックスのデザインを担当している鈴木光太郎が、余暇の時間を利用して作り始めるところから出発しました。鈴木は広告デザイン業界では、1970年代の後半、彼自身の初期の見習い期を除けば、独立独歩で活動してきました。この間、長沢岳夫さんはコピーライターとしてすでに時代の頂点に立つような活躍を見せていて、そのコピーライティングは、鈴木にとって精神的な支えにもなっていたとのことです。そしてその時代の記憶から、長沢氏の作品集を是非作りたいという思いが募っていたようです。
そんなわけで、最初はまさに一滴のしずくからこのプロジェクトは始まりました。鈴木が本の全体を構成し、ポスターの制作時の原版を探したり、著作権者(関係企業)の掲載許可を求めたり、やがては私も長沢氏へのインタビューで千葉県佐倉市のご自宅に何度か足を運んだりして、こつこつと材料を集めていきました。その過程を通して、長沢氏とともに仕事をした人たちや関係者との接触が少しずつ増えていきました。
関係者との接触が増えて行く中で、私がとても意外な感じを抱かされたのは、非協力的な態度を示した人が一人としていなかったことで、すべての人が好意的に、協力を快諾してくれたことです。長沢氏という人の人望というものが、いかに底深いものであったかを切々と実感させられる体験でした。
かくして、このプロジェクトは、量的にも質的にも雪だるま式に膨れ上がっていって、アート本としても、また日本の戦後広告デザイン史の最盛期の歴史資料としてもクオリティの高い本に育っていきました。
鈴木は現在このプロジェクトのプロデューサー的な立場に立ち、本が遍く周知されるべく可能な限りの企画を推進していってます。彼によれば「長沢岳夫こそ日本の最高峰のコピーライターであるという信念を具現化するため、最高峰のアート・ディレクターであると信じる井上嗣也氏と葛西薫氏にコンタクトをとり、アートディレクションを葛西氏に、カバーデザインを井上氏に担っていただく」ことになりました。
本の出版の暁には、鈴木のライフワークとも見なされる豊かな果実がもたらされることでしょう。(H.S.)
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【TOPIC Ⅱ】日本現代美術
水墨作家 海野次郎さんの「SUIBOKU」思想
「入学した美術大学で、水墨画を教えられる教授はいないと、宣告された」
水墨作家の海野次郎さんが、「水墨」についての考えをまとめた本の出版を計画し、現在かたちブックスで編集作業を進めています。タイトルは『水墨 SUIBOKU 間に立つ絵画』とつけられています。
「水墨」と表記して「画」がつかないところがミソで、明らかに「水墨とは何か」を問い、現代の芸術的創造活動の中での「墨で絵を描く」ことの意味を問おうとする、いわば絵画創作の理論を提示しようとするものであることがわかります。
でも、一般論のレベルでの理論書ではなく、海野さんの個人史としての水墨とのかかわりをベースとするもので、その観点からの、いわば「水墨の脱構築」が試みられています。
その向かう先は「間に立つ絵画」です。言い換えれば、「間(ま)」の意義を今、改めて問おうとするものといえるでしょう。
しかし「間」という言葉は、ある意味私達日本人には馴染み深いもので、いろんな芸術や芸能ジャンルで聞きなれています。海野さんも、水墨(画)に関心を向けるきっかけとなる、江戸期の禅僧白隠や文人画家池大雅の絵を見て「間のはたらき」を感じとるのですが、その深い意味には気が付かなかったと書いている。「水墨画とは何か」という問いを起こし、創作の上で実践していく過程で「間に立つ絵画」としての「水墨」の意味を探求していくのですが、その道筋が、千数百年に及ぶ中国絵画、日本絵画の歴史的過程としても記述されています。その詳細については、是非本を読まれることをお勧めします。
そして「水墨」という新しい概念、「墨で絵を描く」ことの今日的な意義が提示されています。その最初のきっかけとなったことは、水墨画の探求を目的として入った美術大学(京都市立美術大学)で、「水墨画を教えられる教授はいない」と宣告されたことです。これはショッキングな体験であったことだと思いますが、結局、それならば独力で研究していこうと志を立て直します。
これまでに書かれてきた「水墨画の歴史」、それはある意味「水墨から離れていく歴史」とも言えるかもしれません。そのような「歴史」に向き合いながら、「水墨」を取り戻していこうとする海野さんの眼を通して、雪舟、宗達、宮本二天(武蔵)、白隠、大雅、華岳といった表現者達が切り開いていった「間の絵画」の歴史を、忘却の淵から蘇えらせようとするかのごとき海野さんの語りは、まさにこの本の最大の醍醐味となっています。
(H.S.)
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【TOPIC Ⅲ】よもやま話
「かたち」について(続続)
〈かたち〉と〈形〉の関係
1990年代あたりになってくると、「かたち」という言葉を口にする人がだんだんと増えてきました。それをいちいち記録には残してこなかったので、今ここで、だれがどんなことをと例を挙げられませんが、今手元にある本の中で、画家の田淵安一さん(1921-2009年)の文章が引用されているので、紹介しましょう。
「眼に見える〈形〉に対して、眼に見えない〈かたち〉。この〈かたち〉がなくては、桜も梅もなく、朝の紅、夕の紅もないであろうような存在内としての〈かたち〉。つまり、名辞以前にあって名辞を生むものでありながら、自身では〈形〉を持たぬ〈かたち〉。このような〈かたち〉は、心のどこかで生まれ、実体をもつものなのか、そうでないのか。こうした問いは古来、東西の哲人が問い続けたものであろう。」(『イデアの結界』より)
この文章を引用した本のタイトルは『天使の記号学』といい、著者は中世スコラ哲学研究者の山内志朗教授(慶応義塾大学)で、2001年に出版されています。
山内さんは田淵氏の引用文に続けて次のように書いています。
「〈かたち〉は純粋に知性的・天上的・抽象的なものではなくて、そこから〈形〉が生まれてくる基盤・母胎のようなものだ。知性的なものと感覚的なものとの枠組みで考えれば、両者を媒介するものだ。
〈見えないもの〉から〈見えるもの〉が生み出されてくる場合の媒介であって、見えることを成立させるものであるがゆえに見えないものであるようなもの、それが〈かたち〉なのであろう。」
現代美術はコンセプチュアルアートを標榜して、「見えるもの」すべてを否定していった。「見えるもの」すべてを否定してしまうと「見えないもの」も「見えなく」なってしまう。「見えないもの」を見るには、「見えるもの」を作ることを通して以外に成り立たない。この意味で「形あるものを作り、観賞して、批評する、ということには、意味がある」。現代工芸評論誌『かたち』の編集・発行は、そのように考えたところから生まれてきたものです。
つまり,冒頭の山内教授の文を逆転させて、「見えないことを成立させるための見えるものであるようなもの、それが〈形(作品)〉である」と書けば、これが『かたち』で私がやりたかったことともいえるわけです。。(H.S.)
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【悦ばしきコトノハ】
描かれたものも、描かれていない余白も、それぞれ独立した美を持ちながら、二つの世界が均衡を保つことによって、一つの絵画世界が成立しているのだ。そこには、全体を支配する統一原理は存在しない。むしろ、異なる原理がせめぎ合い、互いを際立たせることで生まれる調和が「間」の構造である。
海野次郎『水墨—―間に立つ絵画』(仮称)より
海野次郎さんがこの春に出版を予定している本からの引用です(上記【TOPICⅡ】参照)。
「水墨とは何か」という問いの答えとして、このような認識に至るまでに、中国・日本における水墨画の歴史に向き合った考察がなされています。その過程が今度の本で語られているのです。
そしてこからさらに、現代の芸術と日本の文化についてもう一段階の展開があるのですが、それについては直接本に当たってください。(H.S.)
編集後記
かたちブックスめるまが便 第18号
発行メディア:工芸評論「かたち」 https://katachi21.com/
発行サイト:かたちブックス
Copyright(c)Hiroshi Sasayama 2024
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