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井上まさじの絵画3

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作品の参照はこちらからどうぞ。

このあたりで‶絵画の定義”(暫定的に)の試み

 

ここまで書いてきたことを整理する意味で、このあたりで一度立ち止まって、暫定的な絵画の定義(絵画とは何か)をしておくことにしたい。
とりあえずは、絵画とは何かについて、次のように定義しておこう。すなわち
「絵画とは、
 描くことによって成立してくるもの」
というものである。“描く”の定義はここでは問わない。“絵を描く”という行為に対して私たちが通念的に有しているイメージの範囲内の了解でよしとする。
この定義に従って、井上まさじの絵画においては何が成立しているのかを、ここでもやはり暫定的に考えておきたい。その前に、この定義から従来の絵画がどう見えてくるかということについて少し言及しておこう(ここでは、絵画が絵画としての自律に目覚めてから以降に限定する)。

 

・ 人間への関心、身体の形や動態。生存する場の条件〈空間の奥行き、光、時間など〉(例:西洋ルネサンス絵画)
・ 「視るはたらき」を成り立たせるものとしての空間の奥行きと光(例:西洋近世絵画)
・ “平面”が実現する時空のイリュージョン(例:中国山水画・花鳥画、日本の中世の絵巻物)
・ “絵画”の中の空間と光(西洋近代絵画)
・ 「視ること」のメカニズム(現代絵画)
・ リズム・感覚・観念と物質の交錯(現代絵画)

 

では、井上絵画においては何が成立しているのか、あるいは、成立させようとしているのか。
本稿では、井上絵画を“行為の論理学”というヴィジョンの中で捉えていこうとしている。絵画表現における“行為”の意味は、大きくは二つの軸で構成されると考えられる。一つは、アクションペインティングに代表されるような、手足を恣意的あるいはランダムに動かしていく行き方であり、もう一つはそれとは対照的に、手足能動きを意志の力によってコントロールしていく行き方である。井上の場合は、表層的な印象としては後者のイメージが強い。
絵画表現における“行為”は、絵具や筆記具やその他の素材によって形跡が残されていき、そのことによって“絵画”が成立してくるわけである。この意味では、行為の形跡を残していくための物質(素材)の存在がもう一つの不可欠な要素としてある。井上の場合は、これまで書いてきたところではインクであり、道具としてはペンが使われている。しかし、本稿の後半はアクリル絵具による創作の世界に入っていくが、現在の井上絵画の本流はアクリル絵具によるものであるから、今後はアクリル絵具を井上絵画の主要な素材として設定することにする。“行為の論理学”の展望においては、作者井上の“行為”の中で、アクリル絵具がどのような振る舞いを見せていくかということが論述の対象になっていくだろう。アクリル絵具は人工素材であるが、表現者の主観性に対しては一つの客観的な物質として位置付けできるものである。
この客観的存在性を、今、仮に“物質性”と呼ぶとすると、井上絵画は創作主体から発せられる“行為”と、その対象としてのアクリル絵具の物質性との絡みの中で生成されてくると見ることができる。
“行為”を意識のはたらきの範疇のものとして、絵具の物質性を自然的(物理・化学的)範疇のものとして見なし、両者の絡みから生成してくるものを“第二の自然”と名付けるならば、井上絵画が成立させようとしている事柄は、先に結論を出す形になってしまうが、要するに“第二の自然”という言葉で言い表せるようなことだということになる。
(ここでは“自然”と言う言葉を単なる記号として、無定義的に提示している。その内容については、後半の論述でおいおいと肉付けしていこうと思っている。)

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